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3月24日 京大病院
2017.03/26 (Sun)
お気楽妻です
長文になります。
3月24日の予約は午前9時半。
自宅を7時半前に出ました。
約1時間、8時半前に到着するとスムーズに駐車場に入ります。
もう京大病院の診察券を持っているので自動再来受付機で受付を済ませます。
8台くらい並んだ自動受付機の前にはそれぞれ長い列。
こんなに早朝から病気に苦しむ人々が集まって来ている。
今まで知らなかった世界。
ドキドキきょろきょろ。
8時半過ぎには受付も終了し、もう病院内をウロウロする気力もなく呼び出し端末を握りしめて整形外科の待ち合いに座り込みます。
壁に張り出された診療担当医表とにらめっこのダンナさま。
整形外科だけでもいくつもの診療室があるのでどこに呼ばれるのかわかりませんが、呼び出し端末に担当医の名前が表示されました。
「o先生だ。この先生が君の担当医だよ。ちゃんと診てもらおうな。大丈夫だよ、よくなるから。」
緊張感マックスな私、頷くことしかできない。
実は私、幼い頃に髄膜炎で京大病院の隔離病棟に半年間入院した経験があります。
まだ幼稚園に行くか行かないかの頃。
当時は木造の古びた病室で毎週背中の真ん中あたりの骨の間からガラス製の太い注射器で髄液を吸い出し、濁りがないかを調べられました。
目の前が真っ暗になるという表現がありますが、その痛みはまさにその通り。
毎週毎週繰り返されるその痛みに耐えるのが子供心にも苦痛でした。
更に悲しかったのは、隔離病棟でせっかく仲良しになったお友達が何人も亡くなっていったことです。
当時の小児隔離病棟は家族が付き添うのが当たり前で中には病気の子供の病室から会社に通勤しているお父さんもいました。
仲良しになったお友達の病室に今日は行ってはいけないよってお母ちゃんに言われていたけれど
お気楽子供だった私は今日もあの子と遊ぼうって思ってその子の病室を訪ねると、ベッドの上にはシーツにおおわれた小さなふくらみがあり、そのふくらみに取りすがってあの子のお母さんが泣いていました。
死というものがまだよくわからない私は茫然と立ち尽くしていました。
あの子のお母さんは私に「遊んでくれてありがとうね。」って言いました。
そんなことが半年間の間に何度もあったんです。
私の京大病院のイメージは、だからあまり良くなかった。
最高の医療を提供してくれる日本でも数少ない病院だということは理解していますがあまりにも悲しいイメージがつきまとう病院でした。
家族の強い希望で私は今ここに座っている。
京大の医師ってどんな感じなんだろう。
話しやすい訳ないよな。
機械的に患者をさばくんだろうな。
そんなことを考えながら無言で呼び出し端末を握りしめていました。
みなみちゃんは言いました。
「なんちゅう顔してんの?あんなぁ、診察室で泣いたらあかんで!私かて一回も何言われても泣いたことないで❗️泣くのは後にしいや❗️」
私の知らないうちにこんなにしっかり者に成長していたみなみちゃん。
ほんまやね、これから始まるんやから泣いてる場合ちゃうね。
しっかりしいや、私❗️
治すために今ここにいるんやで❗️
情けない母親になったらあかんで‼️
そんな葛藤の待ち合いのソファ^_^;
おおげさな私ですよね^_^;
恥ずかしいな、でもノンフィクションですから^_^;
さて、予約時間より早く呼び出し端末に指示が来ました。
「115診察室にお入りください」
慌てて3人診察室に向かいます。
「お気楽です。よろしくお願いします。」
と言う私に対して
「oです。よろしくお願いします。」
と言う先生。
なんて物腰の柔らかい先生なんだろう‼️
40歳なるかならないかほどの先生は、白衣も来てなくて威圧感も全くない話しやすそうな先生でした。
先生は私が持参したMRI画像を見ながら詳しく説明してくださいました。
病名はやはり
「頚椎症性脊髄症」でした。
私の首の骨が変形して脊髄を傷付けることにより、首に集中した神経に触り痺れがおきている。
一度傷ついた神経は2度と再生しない。
そういう説明でした。
で、このまま放置したら緩やかに進行して歩行障害や排尿排便障害をおこす。
治すというより進行を食い止める為には手術しか治療法がない。
お気楽妻さんはまだ若い。
このまま放置しないで手術をお勧めします。
先生はそう言いました。
優しい先生でした。
お気楽妻さんの脊髄に一部白く濁りがあるのが気になるけれど多分他のちょっと厄介な病気の可能性は低いと思います。
とも言われました。
だけど京大病院で手術対象となるのは腫瘍や合併症のある患者でもしどうしても京大病院で手術を希望されるなら1年も2年も待ってもらわなければならないと言われました。
言い返れば私は緊急性のない比較的シンプルな疾患だと。
先生は年間450以上の手術をなさっているそうで、もし自分にまかせてもらえるなら京大病院の近くにあるY病院に入院してもらえれば自分が出向いて執刀すると言われました。
全く知らない病院の名前が飛び出したのと京大病院では手術が出来ないという現実に直面して、この先生に手術してもらおうかなとさっきまでぼんやり考えていた私はショックで放心してしまいました。
先生はその後もダンナさまやみなみちゃんの質問に答えながら、手術方法やリスクについて約1時間近く優しく決してさえぎることなく納得いくまで説明してくださいました。
「お気楽さん、今すぐ決められないのはよくわかりますよ。一ヶ月後に予約入れておきましょうね。よく考えて。でも、もし決心したら毎週水曜日に外来診療していますからね、予約無しでも来てくださいね。」
手術は覚悟していたのにやっぱり怖い。
でも手術しないと歩けなくなるかもしれないんだ。
でもじゃあどこの病院で手術したらいいのんだろう。
Y病院を見に行ってみよう。
ダンナさまにお願いして京大病院からホントに近いY病院の前まで車を走らせました。
住宅街の細い道にあるその病院は昭和レトロで、玄関入り口の中にジュースの自販機が窮屈そうに斜めに置かれていました。
涙が出そうになりました。
「京大の先生が手術できる設備が整った病院なんだぞ。古くたって小さくたって手術が成功しなければどんなにキレイで大きな病院に入院したって何にもならないじゃないか❗️」
「先生との相性も大切やで。私もたくさんのお医者さんに会ったけど、あんなに優しくて話しやすい先生はそういはらへんで❗️先生に切ってもらったら?」
ダンナさまとみなみちゃんはそう言いました。
私だってあの先生、感じのいい人だと思った。
どうしたらいいんだろう。
また暗闇に突き落とされた気分になり考え込む日々が戻ってきてしまったのです。
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