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それから
2017.03/19 (Sun)
お気楽妻です
約半年間放置していた理由は、大したことないに決まってるという根拠のない理由でした。
だけど私の指先の痺れはどんどん強くなっていってました。
それでも普通に仕事をこなしバリにも行きました。
バリではムルカッという禊をして聖水を指先にあててお祈りもしました。
帰国後も痺れはどんどん強くなり、痛みまで感じるようになっていってました。
この病気は自覚症状を感じるずっと以前から緩やかに進行していたのです。
大抵の人は指先の痺れや歩行困難になってから受診されるようです。
しかしこの病気は完治はできない、今の症状を改善することはできない。
ただ、進行を食い止めるための手術しかないというのが現状です。
いよいよ私は日常生活に支障をきたすまで指先の痺れと痛みを感じるようになってしまいました。
その間、市販の痛み止めを飲んで仕事を続け、それも効かなくなってみなみちゃんの骨の手術時に処方された痛み止めまで欲しがるようになっていました。
仕事は多忙を極め残業続きの日々。
それに増してすぐ近くに一人暮らしをするお母ちゃんは毎週土曜日の私の訪問を楽しみにしてくれている。
お母ちゃんごめんね、私次の土曜日は病院に行くから行けないよ。
その一言がなかなか切り出せませんでした。
私が悪いんです。
決心できなかった私が。
その間みなみちゃんはずっと「いつ病院に行くの?行かなければダメだ」と言い続けていました。
いよいよ痛みが増し仕事も普通にこなせなくなってやっとバカな私は病院に行くことを決めました。
だけどまだそんなに重篤な病だとは知らず、とりあえず近所の土曜日にやってる整形外科を受診したんです。
レントゲンを撮って私の首を左右に曲げて。
先生はすぐにMRI検査をしてきなさいと言いました。
近所の総合病院でその日のうちにMRI検査をして結果を焼いたCDROMをいただき、月曜日たまたま休みだったダンナさまが最寄りの駅まで迎えに来てくれ仕事を1時間早退して整形外科に行きました。
あの日の衝撃は忘れることが出来ません。
受け付けに診察券とCDROMを差し出し、名前を呼ばれ入ると先生のデスクのパソコンには私の頚椎の画像が映し出されていました。
「今すぐ手術しないと首から下が麻痺して歩けなくなるばかりか排尿排便にも支障をきたします。
リハビリなどでは治ることはありません。すぐに紹介状を書きますか?」
ダンナさまと2人、どうやって帰ったのか覚えていません。
帰り道も帰ってからもしばらく無言でした。
だいぶ経ってからダンナさまが
「歩けなくなるって言ったよな。」
ぽつんとそう漏らしました。
その日は夕食も食べずに黙ったまんまどうやって翌日を迎えたのか記憶が全くありません。
長文ですね(^^)
また続き書きます。
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