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そして今
2017.03/20 (Mon)
お気楽妻です
近所の整形外科で衝撃の診断を下されたのが2月の終わり。
言葉も出ない私の隣りでダンナさまが絞り出すような声で
「わかりました。いったん持ち帰って相談します」
と答えてくれました。
この時、いつも冷静なダンナさまも病名を聞くことを忘れて帰るという^_^;
その日にMRI画像診断の結果が出ることはみなみちゃんも知っていたので知らせて良いか迷いましたが電話をしました。
整形外科の先生の話の中で具体的な手術法も出ていたのでそれをみなみちゃんに伝えると、「あー頚椎かぁ‼️怖いで頚椎は‼️私かて交通事故の時に頚椎やってたら今ごろ寝たきりや‼️」って言いました。
みなみちゃんはすぐにネットで調べて私の病名を「頚椎症性脊髄症」だと言いました。
「専門は脳外科やから‼️整形外科は切るのが仕事やから手術しろってすぐ言うねん‼️脳外科に行けばまた違う見解があるかもわからへんやろ‼️脳外科に行かなあかん‼️」
みなみちゃんは翌日から身の回りの荷物を持って泊まりに来てくれました。
家事を手伝ってくれ仕事が忙しく帰宅が遅いダンナさまのいない時間、私を1人にしないように寄り添ってくれました。
交通事故で長い闘病生活と幾度もの手術に耐えてきたみなみちゃんの話しはとても意味のあるものだと思います。
だけどその時の私は真っ暗闇のビショビショに濡れた床の上に座り込んで、みなみちゃんやダンナさまがどんなに手を差し伸べて引っ張り上げようとしてくれても、ただ目をつぶって泣くことしかできませんでした。
何故泣いているの?何が怖いの?何が嫌なの?どうしたいの?
そんな自問自答を繰り返していました。
どうしても前向きになれなかったです。
受け入れられませんでした。
ダンナさまは優しく背中をさすってくれました。
ずっと側にいたいけど最高の治療を受けてまた元気になってもらう為に自分にできることは仕事で稼ぐことだと言いました。
みなみちゃんは私の病院に付き添うから一緒に病院に行こうと言いました。
拗ねた子供みたいにいつまでも泣いているのが恥ずかしい気持ちになって来ました。
だから嫌だけどみなみちゃんに手を取られてバスに乗って脳外科の門を叩きました。
その病院は開業医だけど京大病院出身の先生だから京大病院に紹介してもらえるだろうからとダンナさまが探してくれました。
先生は私の首を左右に曲げて
「あー頚椎ですね」
と即答しました。
翌日、その病院でレントゲンとCT検査をしました。
先生はCT画像を見て「頚椎間板ヘルニア」だと言いました。
驚きました。
整形外科の先生の話しと全然違う‼️
みなみちゃんをチラッと見たら先生の言葉に安堵している様子が見て取れました。
私だってこの先生の言葉にすがりたい‼️
痛み止めを使いながら手術をせずに騙し騙し様子を見ていていいならそうしたい‼️
だけどダメだ。
私は自分のMRI画像を見てしまっている。
あの画像はクッキリと自分の脊髄がぎゅっと狭窄していたんだ。
歩けなくなるって言われたんだ。
この先生はCT画像だけ見て判断している。
勇気を出そう‼️
私には家族がいる‼️
まだ歩けなくなるには若すぎる‼️
瞬時にこんな思いが頭の中を駆け巡りました。
「先生、素人の考えだと怒らんといてくださいね。私ね、色々調べていて頚椎症性脊髄症という病気の症状によく似ているなと思っているんです。MRI検査をしたいんです。お願いします。」
先生はちょっと笑いながら、心配性な患者だなぁと思ったことでしょう。
でも快く検査のできる病院に予約を取ってくれました。
3月17日。
私はMRI検査を受けました。
脳外科の先生の指示で前回よりは長時間の検査でした。
これで詳しいことがわかる。
この画像を見てもなお、ヘルニアだと言われたらそうなんだ。
これでハッキリする。
みなみちゃんと2人、いつかこんな気持ちでここを歩いたことが笑い話しになるといいねって言いながらMRIのCDROMを持って病院に行きました。
結果はあまりよくありませんでした。
1度はヘルニアだと診断した先生は、素人の私の希望で受けたMRI検査の画像を見て
「微妙です。ある意味、あなたがおっしゃる病気の可能性もありますね。大きな病院を紹介しましょう。」
って言いました。
あぁやっぱり。
そうなんだ。
もういいかな。もうこのまま仕事辞めてバリ住もうかな。だってもう疲れた。
悪いでしょう、私。
そう思いました。
歩けなくなるかもしれないしならないかもしれないんだし。
必ず全員が進行するなんて保証もデータもないって言われたし。
あの先生はリスクも大きいし、手の痺れは手術しても治らないから自分なら手術はしないって言った。
だったら私もそれでいいや。
ムクムクとそんな気持ちが湧き上がりました。
開き直りってこういうことなんでしょうね^_^;
アハアハ笑いながらみなみちゃんに自分の思いを伝えました。
狂ってますよね^_^;
泣きたかったと思うな、みなみちゃん。
でも泣かずに一生懸命私を落ち着かせてくれました。
「もったいないと思うよ。治るチャンスがあるのに投げ捨てて、たった2週間程度の入院が嫌なだけでこの先何十年も棒に振るなんて。」
「おばあちゃんより先に歩けなくなるつもり?おばあちゃんに車椅子押しでもらうの?」
「しっかりしてよ‼️私だってもうどうしていいかわからへんよ。何で治りたくないなんて言うの‼️」
ハラハラと涙が出て2人。
あぁ恥ずかしい母親だ、私。
自分のことを投げうってこうして泊まり込みで支えてくれてるんじゃないか。
みなみちゃんはお気楽家の正式な養子ですが、私が産んだ子供です。
ダンナさまと私はだから再婚になるんですよ。
公表は今までしてなかったですけど。
小さかった時、いつも私にぴったりとくっついてどこにでも付いてきたみなみちゃん。
あの時は私がみなみちゃんの手をひいて守っていたけれど、今はこの子が私を守るために手をひいてくれてるんじゃないか、
ダメだ私‼️
立ち上がらなきゃダメだ‼️
恥ずかしい母親になっちゃダメだ‼️
いつか笑い話しにできる筈だ。
死ぬ病気じゃないんだもん‼️
そう思いなおしてね、3月18日、京都大学付属病院の脳神経外科に紹介してもらうことを決めました。
今は京大病院の返事待ちです。
日本中から患者さんが来る大病院だからそんなすぐにはみてくれないと思います。
だけど、そこで診断されたら日本中どこの病院に行っても同じことを言われるでしょう。
医療の第一線で活躍する医師の診断を待ち、受け入れる覚悟を決めながらその日を待ちます。
長文読んでいただきありがとうございます。
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